横浜地方裁判所 昭和35年(ワ)368号 判決 1963年6月21日
事実
原告株式会社岡本鉄工所は請求の原因として、被告株式会社新興商会および同田沢義一は共同して昭和三五年二月二六日、原告会社に対して、金額二五万円の約束手形一通を振り出し、原告会社はこれを同年四月四日城南信用金庫に裏書譲渡し、同金庫はこれをその満期に支払のため支払場所に呈示したところその支払を拒絶されたので更にこれを白地式で原告会社に裏書譲渡し、原告会社は現にその所持人である。
右手形の振出に当つて、その振出人欄には被告会社の記名捺印(株式会社新興商会、取締役社長田沢義一の記名と社印および取締役社長印の押捺)があつたが、被告田沢義一は右記名捺印に竝べて共同振出人として田沢という印を押捺したのみで「田沢義一」の記名を原告に委託してその補充権を与えたものであるところ、右手形については原告会社がこれを裏書譲渡した当時および同金庫が前記のように支払のための呈示をした当時は未だ「田沢義一」の記名補充はされていなかつたのであるが、その後原告において補充権を行使して右記名を補充したのである。
よつて原告は被告両名に対し、右約束手形金二五万円およびこれに対する完済までの遅延損害金の支払を求める、と主張した。
被告田沢義一は答弁として、本件手形の振出に当つてその振出人欄に原告主張のように被告株式会社新興商会およびその代表者社長の記名捺印に竝べて被告田沢が「田沢」なる印を押捺したことは認めるが、被告田沢は本件手形を被告会社と共同で振り出したことはない。右の「田沢」という印は被告田沢が自己個人のため使用したものではなく自己が代表取締役である被告会社の銀行との手形、小切手当座取引用に銀行に被告会社代表者の印として届け出てこの用途に使用してきたものであつて、その経緯は次のとおりである。すなわち、右「田沢」なる印は被告会社がその取引銀行である訴外三井銀行野毛支店と約束手形および小切手の当座取引を開始したときその代表者の印として同銀行に届け出で爾来被告会社振出の手形 小切手の決済用に使つてきたのであるが、その後昭和三二年四、五月頃取引先の問屋筋からこの印だけ押捺した手形では淋しいから世間一般が用いているような会社の代表取締役の丸印を押捺してほしいと要望されたのでその要望に応えてそのような印顆を作成し被告会社の角型の社印と共にこれを発行する手形に押捺してきたのであるが、この場合にもそれらのほかに当座口座の決済の必要上届出済の従前の「田沢」なる印をも押捺使用してきた。しかるに、たまたま昭和三二年一二月六日被告会社が単名で右銀行から金融を受けるに当り右銀行を受取人とする約束手形を振り出しこれに右「代表者社長」の印のほか従前の「田沢」という印を押捺して同銀行に交付したところ、同銀行から呼出を受け、「代表者社長印」は余計であつて、従前の「田沢」という印のみで事足るべく、又、この届出印がなければ印かん相違で被告会社振出の手形の決済はできない旨注意されたので、このとき被告会社は右の注意に従つてもよかつたのであるが 前記問屋筋の要望をも無視することができなかつたので、同銀行に対して「田沢」の印のほかに「代表者社長印」の押捺をしてはいけないかと反問したところ、同銀行はそれはあつてもただ無駄なだけで従前の「田沢」なる印さえ押捺してあれば手形の決済に支障はない旨答えたので 爾来被告会社の同銀行宛の手形振出には「田沢」の印のみを押捺し他の者を受取人とする手形には「田沢」の印のほか「代表者社長印」をも併用してきた次第である。しかして、本件約束手形は右のうち後者の場合に該当するものであるから、これらに「代表者社長印」と竝んで「田沢」の印が押捺されていても、それは前記銀行支店との間の当座取引上の手形決済の必要上そうなつているものであつて、被告田沢が本件手形を被告会社と共同で振り出したものでもなく、又被告田沢が被告会社の本件手形金につき手形保証をしたものでもない。このことは、現に原告以外の取引先を受取人とする、本件手形と同様に「代表者社長印」と「田沢」なる印とを並捺して振り出した多数の約束手形の所持人の何人からもこれらの手形について未だ曾て被告田沢が被告会社の共同振出入とか保証人として手形金支払の請求を受けたことがない事実に徴しても明らかである。原告会社は被告会社振出の本件各手形が不渡となるや、前記「田沢」の印が並捺されていることを奇貨としてほしいままにその上に被告田沢義一の氏名を記入して同被告を本件手形の共同振出人又は手形上の保証人と主張して本訴提起に及んだものであつて、原告の請求は失当である、と主張した。
理由
請求の原因中被告会社に関する部分はいずれも当事者間に争いがないから、右事実によれば、被告会社は原告に対して本件約束手形金およびこれに対する満期たる昭和三五年四月二〇日以降完済まで年六分の利息を支払うべき義務がある。
よつて進んで、被告田沢において本件約束手形についてその手形金の支払義務があるかどうかの争点について案ずるに、(省略)(証拠)を綜合し、弁論の全趣旨に徴すれば、「田沢」なる印が被告田沢により本件手形に押捺されている理由およびこれが被告会社の角型の社印および丸型の代表者社長印と共に用いられるようになつた経緯、事情ならびにその押印の意味は同被告の主張するとおりであつて、その意味は被告田沢の共同振出でも手形保証でもないことが認められる。この点について、原告提出の証拠中、(省略)成立に争いのない甲第一〇号証にはなるほど被告会社の記名と角型の社印および丸型の代表者社長印が押捺されているほかこれと並んで被告田沢義一の氏名が書かれその名下稍右よりに「田沢」なる前記印が押捺されていて、被告田沢本人尋問の結果によれば、これは、被告会社が昭和三二年三月三〇日訴外金子喜重から金三〇万円を借用するに際して同訴外人に差入れた借用証であつて、この場合には右田沢義一個人の氏名は被告田沢自ら署名しその名下に右「田沢」なる印を押捺したものであつて勿論被告田沢は右訴外人に対し被告会社の債務を個人保証する意思表示をしたものである事実が認められるが、この一事を以て、異つた場合である本件の場合を律し、本件手形の共同振出又は保証をしたと認めることはできない。更に又、(証拠)によれば、被告田沢が昭和三五年四月二三日頃被告会社に対する融資の紹介をした加々良重俊宛に、原告会社に宛て振り出した本件手形金を支払えなくなつた旨書き送り、その差出人が被告田沢個人名義となつていることが認められるが、当時被告田沢は被告会社の代表者であり同会社を独断的に支配主宰していた事情に鑑みれば、このことを以て直ちに右本件手形に同人が共同振出人となり又は保証をしたとも断定できない。しかして、以上の証拠を個別的にでなく合せて本件にあらわれた他の証拠と綜合してもなお原告のこの点についての主張事実を確認できない。
されば、被告田沢は本件手形債務の支払義務なきものといわねばならない。